目次
初日(2025年7月27日)
平和の旅のはじまり
― 午前8:00 伊丹空港出発ロビーにて
平和の旅のはじまりは「伊丹空港」から。
朝早くに1階ロビーに集合し、まずは出発式を行いました。
今回、ツアーに参加した子どもたちは、中学1年生から高校2年生の8名。
お互い顔を合わせたのは事前学習会以来の2回目で、まだ十分に打ち解けていないような様子です。
「窓際がいい」なんてつぶやきも聞こえるなか、飛行機の席順は平等にじゃんけんで決めました。
お見送りに来てくれた家族に笑顔であいさつをして、いざ飛行機へ乗り込みます。
初めて飛行機に乗った子。初めて東北へ行く子。
各々ドキドキしている姿がありました。
― 国内唯一の津波被災空港 仙台空港
緊張とワクワクのなか、1時間弱のフライトで「仙台空港」に到着。
バスに乗り込むまでに高さ3.02mの津波到達点を示す「津波高表示」を発見しました。
自分たちの背より遥か高い位置まで津波が来たということを目で見て実感し、驚いた様子の子どもたち。
震災当時、仙台空港は津波で大きな被害を受け、ライフラインの断絶や浸水で孤立。空港内には約1,700人が取り残され、全員が退避するまでに6日を要したそうです。
国内では唯一の津波被災空港として震災伝承施設に登録されており、当時の様子を時系列で説明した「震災説明パネル」を常時展示しています。
― 閖上のランドマーク かわまちてらす閖上
かわまちてらす閖上は、名取川の防波堤上に建ち、名取の食と体験をぎゅっと集めた商業施設です。
当時、名取市内でも津波の被害が大きかったのがこの閖上地区ですが、多くの人の想いと努力により、今では穏やかな時間が流れています。
記録と記憶、教訓を後世へ | 東京電力廃炉資料館
そして次に向かったのは「東京電力廃炉資料館」。
地震と津波によって起きた福島第一原発事故の記録と記憶、その反省から得た教訓。
ひとつひとつの事実を後世へと伝える資料館です。
まるで現場にいるかのような臨場感あるリアルな展示を見て、真剣にメモを取る姿が見受けられました。
“これは天災ではない”“過信があった”という強い反省の言葉に子どもたちは何を思ったのでしょうか。
放射性物質は悪いもの?特別なもの? | リプルンふくしま
原発事故について理解を深めた後、つづいて向かった先は「リプルンふくしま」。>
放射性物質に汚染されたごみの埋立処分や安心安全への取り組みについてを学べる情報館です。
プロジェクションマッピングを活用した展示や模型を使った体験型のデジタルコンテンツで子どもたちにもわかりやすく、「見て」「触れて」「学ぶ」ことができます。
実際に、敷地内で空間線量率測定を体験しました。
測定値と主要都市の空間線量率を比較し、福島の現在の環境回復の状況を知ります。
放射性物質は特別なもの?悪いもの?一見そのような印象を持ってしまいがちですが、自分たちの身の周り、自然界にも存在しています。
ここでは“放射性物質を正しく知って安心する”ことを学びました。
振り返りの時間 | いこいの村なみえ
朝早く伊丹空港から仙台空港へ飛び立ち、東北の海の幸、福島第一原発の記録、放射性物質とはなにかを学んだ子どもたち。
初日の宿「いこいの村なみえ」で1日を振り返り、意見交換をしました。

自分の感想や意見を付箋に書いて発表しあいます。
「原発事故がどのように起こったのかがわかった」
「放射線物質が身近に存在しているとは思っていなかった」
「日本は地震大国だからしっかりと防災対策をしておかないといけない」
一人ひとりの感想と意見をしっかりと聞き、お互いを尊重し合っている姿がとても印象的でした。
2日目(2025年7月28日)
記憶にふれ、日常を見つめ直す場所 | 東日本大震災・原子力災害伝承館
2日目は「東日本大震災・原子力災害伝承館」から。
ここは、震災と原発事故によって全町避難を強いられた双葉町の津波被災地に建てられています。

館内の展示は、当時を生きた住民の目線で語られるものが多く、子どもたちにとってもより身近に考えさせられるものがあったかもしれません。展示を見つめながら、突然日常が奪われ、これまで当たり前だった生活が送れなくなることの大変さを想像した子もいたはずです。
あたりまえの日常は、決してあたりまえではないこと、今も復興が続く福島の現状を、自分たちの目で見て、耳で聞いて、心で考える大切な時間になったと思います。

浪江町は前に進み続ける
― 浪江町震災遺構ガイドツアー
伝承館をあとにし、ここからはボランティアガイドさんの案内で浪江町の震災遺構を見学しました。

最初に訪れたのは「震災遺構 浪江町立請戸小学校」。
校舎のいたるところに残るのは大地震と大津波が刻んだ生々しい爪痕。館内を歩くだけでその脅威が伝わってきます。
そんな混乱のなかでも、職員の勇気ある判断と行動によって、児童・職員全員が無事に避難できたという事実にはとても驚かされました。
避難先は、小学校から2キロ離れた大平山。この日は児童たちの命を救った大平山にある「大平山霊園」へも案内していただき、亡くなられた方々の名前が刻まれた慰霊碑を見ました。

大切な人、そして自分自身を守るために、いざという時に何をするべきかを考え、備えること。
その積み重ねこそが、“奇跡”と呼ばれる結果につながるのだと思います。子どもたちもそのことを胸に刻み、防災への意識をさらに高めるきっかけになったようでした。

そして最後は「浪江町棚塩産業団地」へ。
ここは浪江町の産業を支える工業地帯で、再生可能エネルギーを軸とした企業や、ロボットのテストにおいて世界的にも類を見ない施設が稼働しています。
復興、そしてこれからもずっと住み続けたいと思えるまちづくりを進める浪江町。その未来の姿をすぐそばで感じることができました。
失われた海からいのちが戻るまで | アクアマリンふくしま
次に訪れたのは、東北最大級の体験型環境水族館「アクアマリンふくしま」です。

震災により展示生物の約9割を失うという大きな被害を受けましたが、約4ヶ月後に営業を再開。震災直後の状況や再オープンに至るまでの歩みを映像とともに丁寧に説明していただきました。
いま館内を元気に泳ぐ魚たちの姿は、復興の象徴であると同時に、海の環境やいのちの大切さ、そしてそれを守っていくことの意味を教えてくれました。

振り返りの時間 | 元禄彩雅宿 古滝屋
2日目の宿「元禄彩雅宿 古滝屋」に到着後、まずは美味しい夕食をいただき、その後和室で一日の振り返りの時間を持ちました。

「日本の被害を知って、世界中からたくさんの援助や応援の声があったんだって」
「ふるさとがあることを当たり前だと思わず、大切にしたい」
「震災の記憶がいつか忘れ去られないように、同じ過ちを繰り返さないためにもちゃんと後世に伝えていきたい」
被災地をめぐるなかで、子どもたちが感じ、学んだことは尽きることがなく、振り返りの時間は予定いっぱいまで続きました。
3日目(2025年7月29日)
さつまいもがつなぐ人と地域 | 福島しろはとファーム
いよいよ最終日3日目。
はじまりは、楢葉町でさつまいも生産に取り組む「福島しろはとファーム」からです。
ここではしろはとファームで働く 瀧澤さんにお話を伺いました。

原発事故の影響により楢葉町には耕作放棄地が広がっていました。
その土地を生かすためにさつまいも生産をスタート。今では、子どもたちが楽しめるイベントの開催や、地域の学生との商品開発、さらに消費者の方々が実際に畑を訪れ、土に触れ、収穫を体験できる場づくりにも力を入れています。
風評被害は少しずつ和らいできているものの、今なお「福島県産」という言葉に不安を感じる方もいるのだとか。
それでも、福島で育つさつまいもを通して多くの人に安心安全を届けたいと想いを語ってくださいました。

福島しろはとファーム | 瀧澤 芽衣さん のインタビューはこちらから
サケが帰る川を、もう一度 | 木戸川漁業協同組
次に向かったのは、楢葉町の中央を流れる「木戸川」。
木戸川漁業共同組合さんにおじゃましました。
ここでは、ふ化場長 鈴木さんにお話を伺います。

震災当時、津波は川を遡上し、やな場やふ化施設を壊滅させました。サケをはじめ、アユ、ヤマメ、イワナ、ウグイなど育てていた稚魚のほとんどが失われ、休漁を余儀なくされました。今でも稚魚の放流数は震災前の水準には届いていないそうです。
かつて毎年秋になると、全国からの多くの人が訪れ賑わっていた木戸川に、力強く遡上するサケの姿が見られる日を信じて——。
さまざまな挑戦を続けている姿に胸を打たれました。

木戸川漁業協同組合 | 鈴木 謙太郎さん のインタビューはこちらから
この町の忘れられない記憶 | 閖上の記憶
現地での最後の訪問先は、津波復興記念資料館「閖上の記憶」。
語り部の丹野さんにガイドをしていただきました。

宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区は震災で壊滅的な被害を受けました。
丹野さんの息子、公太さん(当時13歳)も津波にのまれ、行方不明となりました。
家も、写真やビデオなどの思い出も、すべてが流されてしまったといいます。丹野さんは、「生きていた証拠が手元に何も残らないからこそ、何か形にして残したい」という思いから、震災から1年後、遺族会の方々とともに慰霊碑を建立し、資料館を開館しました。

住民の一人として町の復興への歩みを見守りながら、あの日起こった出来事や、かつての閖上の姿、そしてこれからの未来についてを語ってくださいました。
閖上の記憶 丹野 祐子さん のインタビューはこちらから
旅のおわり、そしてそれぞれのふるさとへ
3日間の平和の旅はあっという間に過ぎていきました。
丹野さんに笑顔で見送られながら、閖上の記憶をあとにし、仙台空港へ。
そして伊丹空港に着く頃にはすっかり暗くなっていました。
たくさん移動して、歩いて、見て、学んだ3日間。
ただの疲れではなく、充実感にあふれた疲れのようにも見えました。
旅のまとめ 新聞制作(2025年8月8日)
あの日を自分ごととして忘れないでいたい
ツアーから帰ってきて約1週間後、
事後報告会として8人全員でひとつの新聞を制作し、発表を行いました。
みんなで名付けた新聞の名前は「レインボー新聞」。


ひとりひとりが担当する記事を決め、パソコンでレイアウトを進めていきます。
真剣な眼差しでキーボードに向かい、黙々と作業する姿はまるで本物の記者。
机の上には、びっしりと書き込まれたメモや見学先で受け取ったパンフレットが広げられていました。

タイムリミットが近づくと、完成を喜ぶ声やほっとした表情も。
そして、いよいよ発表の時間です。

どこか遠い場所の出来事だと感じていた震災が、実際に日本で起きた事実であること。大きな悲しみや困難を抱えながらも、今を生き、未来へと歩み続ける人たちにたくさん出会いました。
東日本大震災を経験していない子どもたちにとって、この旅で見た景色や聞いた言葉、感じた空気は、きっと忘れられないものになったでしょう。
この旅は、3日間で心に刻んだことを自分の言葉でまとめ、伝えるところまで。
経験したことをそれぞれの場所で伝え、誰かの心へと受け継がれていくことを願って——。



