目次
初日(2026年3月26日)
スタディーツアー、始動!
― 午前10:30 ホテルロビーにて
「広島平和サイクリングの旅2025」は、広島にある「ホテル法華クラブ広島」のロビーからスタート!
朝早くの新幹線で広島に到着して、ひとまずホテルに荷物を預けて身軽に。
中学1年生から高校2年生まで、学年もバラバラな9名がこの旅のメンバーです。
みんなと顔を合わせるのは、実は事前の学習会以来、今日でまだ2回目。
最初はちょっとドキドキしたけど、これから始まる旅への期待で、みんなワクワク。
まずは気合を入れて、みんなで集合写真!
これからどんな景色を見て、どんなことを感じるのか……刺激の多い旅になりそうな予感です。
Social Book Cafe ハチドリ舎での出会い
― 「1滴」が世界を変える。ブックカフェで聞いた、ある“願い”の話
はじめに向かったのは、隠れ家みたいなブックカフェ。
そこは『ハチドリのひとしずく』というお話が由来の名前がつけられた、社会のことを気軽に語り合える場所。棚には「これ、気になる!」って思わず手に取ってしまうような本がぎっしり。
この日は特別な「6」のつく日。ハチドリ舎では毎月6日、16日、26日に、 語り部の方が来られています。
大勢に対して語りかける証言会ではなく、 身近に語り部のじいちゃん・ばあちゃんと話して、 仲良くなってもらいたい。 そんな想いで、 小さな規模で直接お話しできるよう 語り部の方がカフェに滞在されていて、この日は1945年8月6日に1歳だった、語り部の髙村さんに出会いました。
あの日、まだ赤ちゃんだった髙村さんに当時の記憶はありません。でも、その後どう生きてきたのか、そして今どんな想いでここに立っているのか。いろいろなお話を聞くことができました。
なぜ、こんなに辛い話を何度も語り続けているのか。
それはただ「忘れないで」というだけじゃなく、「平和をつくるために、何かアクションを起こす人になってほしい」という、私たちへの切実なバトンでした。学校の授業じゃ絶対に味わえない、心の奥が熱くなるような学びの時間。この場所で、私たちは大切な何かを受け取った気がします。
広島平和記念公園へ
ブックカフェのあとは、「平和記念公園」へ。目の前に広がるのは、抜けるような青空と、どこまでも続く緑。ここはただの公園じゃなく、世界中からたくさんの人が「平和」を願って集まる場所です。
観光地でもあるけれど、一歩足を踏み入れると、なんだか背筋がシャキッとするような、不思議な空気感に包まれます。さっき髙村さんから受け取った「平和をつくる人になってほしい」という言葉を胸に、私たちはレストハウスへと向かいました。
レストハウスの前にある「平和の子の像」。まずびっくりしたのは、周りにいる海外からの観光客の多さ!英語やいろんな国の言葉が飛び交っていて、ここが本当に「世界中の人が集まる場所」だと肌で感じました。
修学旅行生だけじゃなく、国も年齢もバラバラな人たちが、みんな真剣な表情で像を見上げたり、色とりどりの千羽鶴を眺めたり……。広島という場所が、日本だけのものではなく、世界にとって大切な場所であること、その空気の中に自分たちがいることを感じました。
いざ、サイクリングへ!
「平和学習って、ずっと歩いてお話を聞く感じ」に思われがちですが、広島には自転車で街を駆けぬけながら学ぶスタイルがあるんです!それが、私たちが体験した「平和サイクリング」。
広島の街に点在する「被爆遺構(当時の記憶を残す建物や場所)」を、ピースバディの「トビーさん」と一緒に自転車で巡ります。
ここが推しポイント!👇
①「点」が「線」につながる!:資料館だけじゃ分からない、街全体の広がりや当時の被害の大きさが、自分の足で漕ぐことでリアルに実感できる。
②今の広島も体感できる:戦争の歴史だけじゃなく、そこからどうやって今のキレイな街に復興したのか、風を感じながら五感でキャッチできる。
③とにかく気持ちいい!:9人の仲間と一列になって走る一体感は、普通の観光じゃ味わえないワクワク感があります!ただ座って勉強するだけじゃない。自分の足で、自分の目で、広島の「今」と「昔」を繋いでいく。そんなアクティブな学びのカタチなんです!
広島の街を駆け抜けて広電車庫へ
平和サイクリングで風を切りながら、私たちが次に向かったのは「広電(広島電鉄)」の車庫。
広島の街を走る路面電車、通称「広電」。実はこの電車、広島の復興を象徴する存在なんです。到着した車庫には、ピカピカの最新モデルから、レトロで味のある古い車両までずらりと並んでいて、まるで電車の博物館!でも、それだけではありません。ここは、あの日のような状況の中でも「広島を動かそう」と立ち上がった人たちの想いが詰まった場所です。
あの日、1945年8月6日の爆風を直接浴びながらも、奇跡的に残った「被爆電車(651号・652号)」が偶然、車庫にいました。
目の前にあるその電車は、80年以上も走り続けているとは思えないくらい、堂々としていてカッコいい。この電車、あの日からたった3日後には、ボロボロになりながらも広島の街を走り始めました。「広島は復興するんだ!」という、当時の人たちの希望を乗せて走った伝説の車両なんです。車体を見つめると、「歴史」じゃなくて、目の前で今も現役で動いている「命」のような存在にも見えました。
平和記念資料館からの風景

車庫をあとにして、私たちは「広島平和記念資料館」へ。展示されている、ボロボロになった服や、持ち主の想いが詰まった遺品。「もし自分だったら」「もし自分の家族だったら」――。
教科書の文字を追うだけじゃ絶対に分からない、一人ひとりの人生がそこにはありました。胸がギュッとなるような時間だったけど、みんな一歩も引かずに、真剣な眼差しで「あの日」の記憶と向き合っていました。
見学の最後、資料館の2階から外を眺めたとき。目の前にパッと広がったのは、原爆ドームまで真っ直ぐに伸びる、美しい一本の道。
有名な建築家の丹下健三さんが設計した「丹下ライン」というものです。原爆死没者慰霊碑、平和の灯、そして原爆ドーム。過去の悲しみから、今の平和、そして未来の希望までが、一直線につながっているんです。さっきまで展示を見て震えていた心が、この景色を見た瞬間に「あぁ、この平和を繋いでいかなきゃいけないんだ」って、スッと一本の筋が通ったような気がしました。
1日目のふりかえり/何が心に残ったか
濃密な広島での1日目が、無事に終わりました。朝、ホテル法華クラブのロビーでワクワクしながら集合写真を撮ったのが、なんだかずっと昔のことみたいに感じます。
ハチドリ舎で聞いた髙村さんの切実な願い。平和の子の像の周りにあふれていた世界中からの祈り。風を切って走ったサイクリングと、力強く今も動く被爆電車。そして、資料館で向き合った、言葉にならないほど重い歴史。
1日を終えた今、みんなの心には何が残っているんだろう?
「悲しかった」「怖かった」……もちろんそれだけじゃない。9人それぞれが、自分なりの「平和の答え」を探し始めたような、そんな静かで熱い夜です。ハチドリの物語みたいに、私たちはまだ小さな「ひとしずく」かもしれないけれど。今日見た景色、聞いた声、感じた震えを忘れない。「平和を作るために、何かをする人になってほしい」というあの言葉を胸に、明日の旅も一歩ずつ踏みしめていこうと思います。明日も、最高の学びになりますように!おやすみなさい。
2日目(2025年7月28日)
「平和の旅」2日目が始まりました。1日目に資料館や車庫で「点」として学んだ歴史を、今日は自分たちの足で歩いて「線」につなげていく日です。向かったのは、街のなかに溶け込むように建っている2つの場所へ。
1. 本川小学校:地下室に眠る、消えない記憶。

はじめに向かったのは「本川小学校」。今も子どもたちが元気に通う現役の小学校ですが、その敷地内には、被爆した旧校舎が「平和資料館」として大切に残されています。一歩中に入ると、外の賑やかさが嘘のような静けさ。特に衝撃的だったのは、地下室です。真っ暗でひんやりとした空間に、当時のままの壁や床が残っていて、まるで時間が止まっているようでした。小さな資料館でしたが、そこにはたくさんの平和を祈る折り鶴が。折り鶴の数が平和を祈る思いの数だと感じられる場所でもありました。
2. 袋町小学校:壁に刻まれた「会いたい」の願い。

続いて訪れたのは「袋町小学校」。ここも、モダンな校舎のすぐ隣に、被爆した建物の一部が保存されています。ここでみんなが釘付けになったのは、壁にびっしりと書かれた「伝言(墨書)」です。爆発のあと、真っ黒に焦げた壁に、チョークや墨で書かれた家族へのメッセージ。「〇〇、ここにいるぞ」「〇〇を探しています」――。SNSもスマホもない時代。ボロボロになった校舎の壁だけが、唯一の希望で「会いたい」という切実な思いが、何十年経った今でも壁から浮き上がって見えるようで、メンバー全員、言葉を失って見つめていました。
福山「ホロコースト記念館」へ
午後は少し足を伸ばして、福山市にある「ホロコースト記念館」へ向かいました。

広島で「原爆」の恐ろしさを学んだ私たち。次に向き合うのは、遠いヨーロッパで起きた、人間が人間を差別し、命を奪った「ホロコースト」の歴史です。人間を運ぶ小さなトラック(貨車)の模型や、収容所の様子。そして、世界中で有名な『アンネの日記』のアンネ・フランクの隠れ家が再現された部屋の展示がありました。メンバーたちも、アンネが自分たちと同じ、あるいはもっと年下だったことに気づき、ハッとした表情に。「どうしてこんなにひどいことが起きたの?」「どうして誰も止められなかったの?」広島で感じた「平和への想い」が、一気に世界へと広がっていくのを感じました。でも、ここにあるのは悲しみだけじゃありませんでした。
アンネのお父さん、オットー・フランクさんから届いた「平和へのメッセージ」や、アンネが愛したバラの花。絶望の中でも希望を捨てなかった人たちの強さに触れて、人間の素晴らしさや優しさも感じることができました。
広島から福山へ。この移動距離の分だけ、私たちの「平和を考える心」も、ぐんと大きくなった気がします。

帰路へ
夕暮れ時、私たちは新幹線のホームに立っていました。昨日、ホテル法華クラブのロビーでドキドキしながら集合写真を撮ったのが、もうずいぶん前のことみたい。中学1年生から高校2年生まで、学年も住んでいる場所もバラバラな9人。最初は「平和学習って難しそう……」なんて思っていたかもしれないけれど、2日間、一緒に歩いて、走って、見て、聴いて。気づけば、新幹線の座席でお互いの感想を語り合ったり、お土産をのぞき合ったりする、最高の「仲間」になっていました。
みんなの心にはきっと、自分だけの「平和のしずく」が落ちたはず。「忘れないでほしい」という願い。「平和をつくる人になってほしい」というバトン。アンネが信じた、人間の善意。新幹線が地元に近づくにつれて、旅は終わっていくけれど、私たちの「平和への旅」はここからが本当のスタート。学校に帰って、家族に、友達に、今日感じたことをどう伝えよう?重い荷物と一緒に、キラキラした希望を詰め込んで。9人のメンバーは、ひとまわり大きくなった笑顔で、それぞれの日常へと帰っていきました。最高の2日間を、ありがとう!
旅のまとめ 新聞制作(2026年4月3日)
旅の終わりは、新しい「自分」のはじまり
広島・福山を駆けぬけた2日間。その熱が冷めないうちに、私たちは最後に「新聞制作」に取り組みました。真っ白な紙を前にして、それぞれの想いをペンに乗せます。
ハチドリ舎で聞いた髙村さんの話、平和の子の像で見上げた青空、被爆電車の力強い車体、そしてアンネの隠れ家の静けさ……。「悲しい」だけじゃ終わらせない。「自分だったらどうしただろう?」「今の自分にできることは?」みんなの書く手は止まりません。完成した新聞には、1人ひとりの「自分ごと」としての言葉がびっしり。「あの日」を過去の出来事として片付けるのではなく、今の自分たちの生き方につなげていく。忘れないこと。語り継ぐこと。そして、平和をつくる「何か」をすること。そんな思いが込められています。
2026年の春。私たちは、ただの「中高生」から、平和のバトンを受け取った「ハチドリ」になりました。この新聞は、旅の終わりを告げるものじゃない。私たちがこれから社会の中で羽ばたいていくための、大切な「地図」です。



